「内部留保とは、企業が事業で上げた利益などの資金を、配当など
外部に流出させず、ため込んだ資金の事です。
昨年まで、日本企業は、世界標準から見ても異常なほど、その水準が
高まっていました。
ようやく、その内部留保を取り崩して使うタイミングが到来したようです。」
■1990年代のバブル崩壊とその後の長いデフレ経済による日本経済の低迷は、
日本の企業と金融機関の間の疑心暗鬼ともいえる不信感が原因でした。
バブルが起きる直前、以前にもコメントしたように、銀行は、都銀を中心に
収益の増加を至上命題としていました。
収益の増大=融資の拡大が当時の銀行の事業モデルです。
融資を急速に拡大させるために、不動産融資などを強化し、融資に対する
基準を極端に引き下げました。
そして、自ら招いた急速なインフレ(とりわけ不動産インフレは突出
していました)により、政府や日銀は急速に金利を引き上げ、銀行の
融資姿勢を「指導」により圧縮させました。
結果として、企業は、融資の返済を急がされ、追加の融資を断念させられ
窮地に陥る会社が多く出ることになりました。
不動産投資を「融資」によるレバレッジで拡大させていた会社は、保有している
不動産価値の下落、融資の引き上げにより、窮地に陥りました。
かくして、倒産する会社が増え、日本はバブル景気の頂点から急速に奈落へ
落ちていったことは前にも伝えました。
■各企業からすると、政府や日銀の姿勢の急変、「行政指導」などが原因とは言え
金融機関の「手のひら返し」には「煮え湯を飲まされる」思いであったことは
まぎれもない事実です。
経済は、「自己資本」と「他人資本(融資など)」のバランスをとり、資金を
有効に回転させることにより拡大します。
しかし、企業による金融機関への不信感は、「他人資本」への嫌悪を招き、
「他人資本」への依存度を極端に引き下げることになりました。
そのために基盤がぜい弱な金融機関の弱体化が進み、金融機関の合併や統合が
増えました。
各企業、各金融機関がそれぞれの最善の道を求めたために起きた「合成の誤謬」
という現象でした。
■各企業は、経営の最優先事業が、「負債の返済」となり「金融機関に依存し
ない財務体質」となりました。
そのためには、「研究開発の削減」「設備投資の削減」「人件費などのコスト削減」
等の政策が先行しました。
これ等の政策は投資を抑制し、支出を抑制します。
賃金が上昇しない、あるいは削減される労働者は、消費を抑え自己防衛に走ります。
デフレが長引いた背景は、さかのぼると、金融機関の「手のひら返し」に
有ると考えています。
■この状態をほぐすために、政府と日銀は超低金利政策を開始しました。
「アベノミクス」と言われたこの政策は、しかしすぐには刷り込まれた「疑心暗鬼」
をほぐすことはできませんでした。
ようやく、ほぐれ始めたのは、「円安」による日本製造業の復活です。
「設備投資」が必要になり、「内部留保」の取り崩しだけでは資金が間に合わなく
なったからです。
「人材確保」も必要になりました。賃金を挙げざるを得なくなりました。
自ら招いた窮地とはいえ、金融機関はようやく融資の拡大という出口を見つけた
様です。
かくして、金融機関の収益構造も改善へ向けて動き出したのです。
■日本企業が(金融機関も含む)大量の内部留保をいよいよ活用するタイミング
が到来したのです。
経済はデフレからインフレに向かいます。
とはいえまだまだ、デフレ気分は残り、「疑心暗鬼」は消え去るものではありません。
したがって、社会が「経済回復」を実感するまでにはまだ時間がかかります。
しかし、変化し始めたのは確実です。
30年の「疑心暗鬼」による「防衛行動」から「拡大戦略」に転化した日本経済です。
「内部留保」という「タンス預金」がようやく動き出したのです。